停滞した同じような時間経過を表現する音楽

 

今回は、
新藤兼人監督映画「人間」(1962年)
を題材に
「停滞した同じような時間経過を表現する音楽」について
取り上げていきます。

亀五郎(殿山泰司)は
五郎助(乙羽信子)、八蔵(佐藤慶)、三吉(山本圭)の3人と共に船出しましたが、
嵐に巻き込まれてエンジンが故障、
漂流することとなってしまいました。
雨水やわずかな食料で生き延びながら、船が通りかかるのを待っています。

本編62分あたりから
「鍵盤打楽器の執拗に繰り返す音型(オスティナート)とミュート付トランペットによる無調音楽」
が流れ始めます。
この音楽が10分以上続き、
空腹に耐えながら助けを待つだけの同じような時間経過が
音楽面でも表現されているかのよう。
特に、
「鍵盤打楽器の執拗に繰り返す音型(オスティナート)」
という要素が、
この表現を感じさせます。

同場面において、
五郎助と八蔵は他の2人と分かれて行動しながら
ひたすら空腹に耐えています。
横になりながら
気を紛らわすために梅干しのタネを口へ含んだり、
「おにぎり」「麺」「すき焼き」などを食べていることを想像している。
「焼き鳥」を食べたことを思い出している。
映像としても、
「這ってもろくに進めない様子」や「指までしゃぶり始める様子」
などをはじめとし、
「照りつける太陽」や「水平線しか見えない海」などを映し出す。
これらにより、
「空腹に耐えながら助けを待つだけの、停滞した時間経過」
という表現が
より深刻なものとして伝わってきます。

本編74分あたりからいったん音楽が不在に。
しかし、二人がグッタリとしている様子を再び映し出すので、
それまでとの対比として
その姿がいっそう空虚に映しだされる。

繰り返しになりますが、
「鍵盤打楽器の執拗に繰り返す音型(オスティナート)とミュート付トランペットによる無調音楽」
というのは、
一種の「停滞した同じような時間経過を表現したもの」であり、
仮に、音楽的に進行感や展開のある楽曲が流れてしまったら
この場面の映像の停滞感は出なかったでしょう。

 


 

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