時代設定と状況内音楽との関係

 

様々な劇作品に接していると
時々、時代設定と「状況内音楽」との関係に興味が向かうのですが、
例えば、
設定として「1930年よりも前の時代設定の劇」に合わせて
状況内音楽として「ジャズ」を流すシーンがあるとします。

ジャズにも進展の歴史があるので、
劇の設定が1930年よりも前の時代なのに
「スウィングジャズ(1930年代から40年代にかけて流行)」
よりも後の時代のジャズ音楽が流れていると
少し妙に聴こえます。

これは、劇の中で実際に鳴ってる音楽である ”状況内音楽” だからこそ
違和感を感じるのであり、
状況外音楽」でしたら「そういう演出」ということで済み、
観客側にもそのように響きます。
仮にそれがNGとなれば、
時代劇にシンセサイザーは一切出てこないことになってしまう。

【補足】
ちなみに、宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」の中で、
たぬきの子が演奏する楽曲に対して、
「ジャズか?」とゴーシュが問う場面があります。

宮沢賢治は時代を特に設定していませんが、
物語の中に映画の以前の呼称である「活動写真」という言葉が使われていることから、
推測として1930年よりは前の時代設定と考えられます。

この頃は、ポピュラー音楽のことを「ジャズ」と呼ぶ風潮があったことや、
宮沢賢治がジャズを理解して言葉を使っていたかは曖昧といったこともあり、
実際にたぬきの子が演奏していた楽曲は
ポピュラー音楽に近い楽曲だったのではないかと推測できます。

「1930年よりも前の時代設定の劇」でしたら、
ジャズの意味するところは、

◉ ブルース系
◉ ラグタイム系
◉ ガーシュウィン系

このあたりと言えるでしょう。

作曲者も含め「演出する側」にとって、
「その劇作品が何年ごろをテーマにしたものなのか」
ということが重要な視点となっています。