「情景を説明する音」は
「音楽単体」もしくは「環境音単体」として表現するケースが多いですが、
今回は別の観点から
「環境音」と「音楽」を組み合わせて
一つの「情景を説明する音楽」として表現している例をご紹介します。
志村敏夫、阿部豊監督映画「私はシベリヤの捕虜だった」(1952年)
の冒頭タイトル直後のシーンでは、
「強風で雪が飛ばされて、空中が真っ白になる映像」
これが、音声面としても説明的に表現されています。
「単体の音楽」や「単体の環境音」ではなく、
「環境音としての “風の音”」
「目まぐるしい半音階を中心とした音楽」
これらの組み合わせで表現されている点がポイントです。
環境音としての風の音を「音楽と同程度の大きさ」で聴かせることで、
あたかも
「環境音と音楽がセットで一つの表現を担っているかのような効果」
が出ています。
たとえ同時使用であっても
環境音を小さく、音楽を大きく聴かせた場合では
このような効果は表現できません。
音楽部分に含まれる「目まぐるしい半音階」も
それ自体がエフェクト的な役割で
シベリヤの荒れ狂う情景描写に効果を与えています。
【補足】
上記のように、
本作では「環境音」としての風の音が使われています。
一方、
聴こえ方の自然さから判断すると
おそらく実際の撮影の際に拾った音声ではなく
「SE」として後に付け加えた風の音でしょう。
上記のように、
本作では「環境音」としての風の音が使われています。
一方、
聴こえ方の自然さから判断すると
おそらく実際の撮影の際に拾った音声ではなく
「SE」として後に付け加えた風の音でしょう。
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ちなみに、
掲題の「環境音と音楽を組み合わせた表現」とは異なりますが、
音楽部分に含まれる
「それ自体が情景描写エフェクト的な役割」
を担っている別例をもう一つだけ挙げておきます。
山村聡監督映画「蟹工船」(1953年)
の前半部分で、
「嵐のシーン」に描写的音楽が付けられています。
音楽の途中から「ピアノのグリッサンド」が多用され、
目まぐるしい天候を
音楽でも描写しているかのようなサウンドが聴かれます。
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