登場人物の「営み」に対して付けられた音楽

本記事は以前に「リアルサウンド」で執筆した自身の原稿をもとにしています。

 

映像の音楽には
「登場人物の『営み』に対して付けられた音楽」というものがあり、
これは人が生きているならではの苦しみ
(例えば、ストーカーがストーカー行為に及ぶ内情)
などからくる感情を音楽の面で表現するものです。

こういったタイプの映像音楽は
「直感的理解(同調)」という音楽話法で説明されることがあります。
つまり、第3者の視点から登場人物を理解しようとしているということ。
したがって、
「感情移入させる音楽」「異化効果を狙った音楽」などとは少し異なり、
「神の目線」「俯瞰のまなざし型」などと呼ばれます。

このように、あえて映像と距離をおいた音楽が用いられることで、
「音楽の対象となっている登場人物に感情移入する」視聴者もいれば、
「登場人物の行動の意味を考える」視聴者もいるはず。
劇伴や映像の捉え方に「多面性」を与えるという点が
この種の音楽の特徴であり、使用される目的でもあります。

仮に「ストーカー行為」が着眼点になっている場合、
ストーカー側の視点の音楽でも、
そうではない(ストーカー“される”側の)視点の音楽でも
成立はします。

「俯瞰のまなざし型」の例としては、
ルネ・クレマン監督映画「太陽がいっぱい」(1960年)
の音楽が挙げられます。
詳述は別の記事に譲りますが、
主人公のトム・リプレーが犯罪者であるということを前提とした
第3者の視点から理解しようとしている音楽演出がされています。

また、1996年に公開されたとある日本映画には
”映像表現として” 俯瞰的な傾向を持たせている作品もありました。
森全体を大きなカメラに見立てて人間界を捉えているような
数多くのロングショットが印象的に用いられていたのです。
この映像作品でもそうでしたが、
映像表現として俯瞰的な表現が採用されている箇所では
音楽表現としても俯瞰的な演出がされているケースは多くあります。

 


 

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