映像では映されていない要素を説明する音楽

 

引き続き、
新藤兼人監督映画「愛妻物語」(1951年)
を題材にします。

本編72分頃、
石川孝子(乙羽信子)が吐血する場面があり、
以下の3点で、吐血だとわかります。

◉ 孝子は、夫の沼崎敬太(宇野重吉)へ洗面器を持ってくるように伝えた
◉ 少し前の場面で、孝子はすでに吐血した設定となっている
◉ 悲劇的な音楽がつけられ、単に咳き込んだわけではないことが明らか

映像では敬太がカゲになり
孝子が吐血した様子自体は映されません。
しかし、
孝子へ洗面器が渡った瞬間に
「弦楽器で入りが強調された、悲劇的な音楽」が流れます。
この音楽表現により、
これまでの流れを知っている観客は
吐血したことを理解することになります。
映像では映されていない要素を説明するための音楽。

本編では
病気である孝子が数回吐血するのですが、
一回もその直接の様子は映されていません。
少し露骨な表現となってしまうために
このような「説明的な音楽」で代用したのでしょう。

音楽には
映像で映されていることをさらに強調する場合もあるわけですが、
今回の例のように、
映像では映されていない要素を説明する場合も。

どちらも「説明的な音楽」であることには変わりありませんが、
その表現の役割自体は
根本的に異なるものとなっています。

 


 

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