「セリフ」が一切無く、
「環境音」などの音声と「音楽」のみで進行していく映画は
何作品かありますが、
新藤兼人監督映画「裸の島」(1960年)
もその一つ。
【補足】
「笑い声」「泣き声」などの「声」は聴かれますが、
純粋なセリフは出てきません。
「笑い声」「泣き声」などの「声」は聴かれますが、
純粋なセリフは出てきません。
「環境音」による聴覚的な補佐
という記事でも書いたように、
作品に登場する様々な「音」も含めた音声表現による聴覚的な補佐によって、
純粋な「背景音楽」が少なくても
視聴者が倦怠感を感じにくくなります。
一方、
この作品は少し特殊で
「背景音楽」の使用箇所は多いけれども「セリフ」が無い。
多く使用された背景音楽と
「環境音」による聴覚的な補佐により、
セリフがなくても飽きることなく
約95分の映画が成立しています。
セリフがないということは
状況の把握は
「映像」と「(セリフ以外の)音および音楽」ですることになります。
長男が高熱を出す場面では
少し前から不吉な音楽で「伏線」が張られていましたし、
父親が急いで医者を連れてくる場面では
「緊張感を煽る音楽」が用いられたりと、
他にも「説明的な音楽」が使われている場面は多くありました。
したがって、
セリフは無いけれども
映像に対して付けられた音楽を聴くだけで
状況が把握しやすい傾向にある作品となっています。
比較的多くの映画では
ここに更に「セリフによる状況説明」などが足されたりするので
「それでもOK」
あるいは
「too much!説明しすぎ」
などと観客の印象が分かれることになります。
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